ぴょんぴょこ劇場

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「吉田寮」退去期限に思うこと

 

2018年9月30日がこんなに気が重い日になるとは思ってもいなかった。

どうしても今日はいつもより感情的になってしまう。

 

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今日は京都大学が求める、吉田寮の退去期限である。

ここでは詳しく書くと長くなるので書かないが、

2017年の12月に京都大学が築105年の「現棟」と築4年の「新棟」からも

全員出て行けと通知を出した。

(詳しいことは貼ってあるリンクをみてね!わかりやすいよ!)

 

実際、今日も吉田寮について思うことを書こうか未だに悩んでいる。

今書いてしまうと、吉田寮の終焉を認めてしまうからである。

自分の帰る空間が1つなくなってしまうということは意外と寂しくて悲しい。

 

歴史も深くて、多くの人が過ごした吉田寮については様々な思いがあって、

当てはまらないところもあると思うが、今日は私が思うことを簡単に書いてみようと思う。

 ****

 

「効率性」や「生産性」が高いことや、人生をストレートにコスパよく生きることがよしとされている社会において、吉田寮はちょっとそれから離れて社会を俯瞰したり、社会からちょっと距離をおくところのように見える。

 

実際に、私はもれなく「効率性」や「生産性」がそこまで高くなく、人生もストレートにコスパよく生きていないと思う。

浪人もしたし、特になにかを生産したわけでもない。

ぶっちゃけ会社員なんて、頑張っても頑張らなくてもある程度の給料はもらえてコスパはいい。にも関わらず、今その道を離れようとしている。

世の中からしたら、本当にコスパの悪いクズである。

ある意味、何でも一歩立ち止まって考えて「これおかしいんじゃないの?」と発言する私はかなりの厄介者だと思う。

 

そんな人生に迷っている人や、ちょっと一般的な社会に合わない人を支援するわけでもないが、一歩立ち止まって考える空間であることが吉田寮の最大の魅力だと私は思う。

 

実際に住んで、お互いに住みやすいように話し合ったり、誰かと楽しくご飯を作って食べたり、一緒に歌を歌ったり、楽器で遊んだり、動物と遊んだり、本を読んで一緒に議論をしたり、お互いの専門分野の話をしたり、ゲームをしたり、本当に色々なことをした。お互いに「仲良し」だから一緒に物事をするのではなく、「興味が似ているから」、「目的が同じだから」一緒に行動することが多くてとても気が楽だった。無駄に気を使わなくてよかった。

 

食べて寝て遊んでしかないじゃないか!

 

でもそれら全ては人生を豊かにするもの。

それを若いうちにたくさん経験できてよかった。

もっとそれを色んな人に経験してもらいたいとよく思う。

吉田寮にきてみなよ〜〜、心が豊かになるぞと言いたい。

 

そんな空間がもうなくなってしまうのが悲しい。

悲しいとか寂しいとかそういう言葉ではもう表せない。難しい。

 

明日から社会に戻るかぁ〜〜。

 

吉田寮生追い出し問題はこちらから!

yoshidaryozaiki.wixsite.com

 

こういう空間が少しでも長くあるといいなぁ。